晩春の夜風に薫る記憶は 5
キイロイトリさんによる写真ACからの写真

≪ 第一章 五月の風に誘われて 5 ≫



「せっかくわしが忠告してやったというに……」


 むっとして顔を上げると、老人は嬉々とした調子で顎をしゃくってみせる。


「ほうほう! ほれほれ、言わんこっちゃないわい」


 怪訝に思った真人は、それでも言われるままに視線を向ける。

老人が示した道の先へじっと目を凝らした。


「何もいないじゃないですか」


 真人は眉根を寄せ、老人を振り返った。

山の一本道である。

狭くて暗い道の先は闇ばかりだ。

多少の薄気味悪さはあるものの、何の気配も感じられない。


「そうかのぅ」


 長々と伸ばされた髭を丁寧に撫でつけながら、老人が気のない答えを返してくる。

揶揄(やゆ)するような彼の返答が、やけに癇に障った。


「そうかの、ってね」


 ぐるりと振り返り老人を睨みつけ、声を荒げる。

瞬間、真人は浴びせかけようとしていた非難の数々をすべて呑み込んだ。


 ――シャリン……


 耳を澄ませると、風の音にまぎれ確かに何かが聞こえてくる。


 ――シャリン、シャリン……


 聞き慣れぬ音色が、夜風とともに耳をくすぐった。

鈴の音(ね)に似ているが少し違う。


 ――シャリンシャリンシャリン、シャリンシャリン、コロコロコロ……


 鈴の音よりも高く澄んだ音色が、闇の中にこだました。


「いったいどこから……?」


 知らず洩らした言葉に、老人が答える。


「ほうほう、今頃気づいても、もう遅いわい」
「え?」
「さて、わしゃ行くぞ」
「ちょっ、ちょっと待ってください! 行くっていったい……」


 慌てて見やった視線の先に老人の姿はなかった。

真人はすっかり暗くなった月も星もない夜空を見上げ、深い溜め息を落とす。


「なんだかなあ」


 目の前で一度ならず二度までも消え去った老人のことを、気味悪いと思わないのが不思議だった。

もっとも、好意的に思うことも到底できそうにないが。

むしろ腹立たしいことこの上ない。

消えるのは勝手だが、せめてその前に帰り道ぐらい教えてくれればいいものを。

などと空しい恨み言を胸中で呟く。

すると、先刻から聞こえている不可思議な音(おと)が、徐々に近づいていることに気がついた。

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